ライジング・コメント欄からも
「よしりん独演会」の感想
ご紹介です!
独演会、見終わりましたー。おもしろかったー!
過去のゴー宣で、何かの講演会で立っていられるか心配で下半身を鍛えて臨んだというエピソードがありましたが、そんなよしりん先生が3時間立ちっぱなしでしゃべり続けるとは!その心意気だけでも感動です。
ジャニーズ問題は、結果として、よしりん先生の本質を浮き彫りにしたと思います。人権、文化、歴史、性、偽善、マスコミ、そういったことがこれまでもゴー宣で語られてきましたが、ジャニーズ問題でこれらに関わる問題が一気に噴出したという印象です。長年ゴー宣から学んで来た僕としては、ジャニーズ問題は、これまでゴー宣で学んだことを応用する、かっこうの題材でした。
ゴー宣の思想を理解していれば、人権至上主義も、偽善的にジャニーズをバッシングすることも、愚かなことであると容易にわかります。僕は自慢じゃないですが、すぐにわかりました。よしりん先生を全然疑いませんでした。こんなふうに僕を鍛え上げたゴー宣は、さすがです。
偽善が大嫌いだと断言するよしりん先生に、ジャニーズ問題以降、僕は相当激しく同意しています。悪人正機について話しておられたことが印象的でした。僕はキリスト教信者ですが、神の完全を学べば学ぶほど、自分の不完全を恥じ、神の恵みを必要とする、というのが信仰だと思っています。自分の不完全さをたやすく棚に上げてジャニーズに石を投げまくる偽善者は、本当に気味が悪いです。石を投げまくらないと自分が善人の中に数えられないと思い込んでいる、おかしな自意識にもうんざりです。
よしりん先生があえて悪人になったお手本は、戦争論でも反米でも反グローバリズムでも、僕は見てきました。ですから、ジャニーズ問題でも再び悪人になると言ったよしりん先生を、諸手を挙げて支持するのは当然のことです。
過去のゴー宣で、目に見えないものに対する「畏れ」の念を抱かない人は気味が悪い、というようなことを書いておられたと思います。(「靖国論」でしたっけ?)戦後民主主義は、歴史を軽視しながら、そして曖昧模糊とした「人権」という価値観を盲目的に尊重しながら、そのような人間を大量生産してきました。神をも畏れない人間が、自分の不完全さを棚に上げて、自分より劣っているマヌケを見つけ出し、嬉々として石を投げまくる社会が、見事に出来上がってしまったと思います!
ジャニーズ問題は、この構図を何よりもわかりやすくあぶり出しました!こんなにもわかりやすく自分の「偽善」がさらけ出されているにも関わらず、いつまでたってもそれが「偽善」だと気づかずに石を投げ続けている輩が、マスコミと大衆にあふれています!この様子をまざまざと見せつけられている今、「偽善は大っ嫌い!」と断言するよしりん先生に、僕は相当激しく同意します!
よしりん先生の話を聞きながら、僕自身の思想の基礎がゴー宣によって頑丈に築かれていることを認識しました。よしりん先生の言うことすべてが心にスーッと入ってくる思いです。ごーまんをかますと、僕はゴー宣で思想を鍛えられているので、よしりん先生の言うことを完全に理解できます。
最後のよしりん先生のメッセージは、希望のメッセージであり、ニヒリズムに陥ることなく未来を信じよ、というメッセージだったと思います。そのメッセージを発するよしりん先生は最高にかっこよく、こんなちっぽけな自分にも何かできることがあるかもしれない、と信じさせてくれるようなメッセージでした。
もし今度独演会があったら、遠くだったとしても、行きたいなー!(横浜開催希望します。)ありがとうございました!
(NAOPPUさん)
そういやあったなー、そんなこと。いつだったっけ?
…と思って探してみたら、2002年6月11日に開催された、靖国問題をめぐる集会でのことでした。
(新ゴーマニズム宣言12巻)
なんと21年前!! この時は椎間板ヘルニアのためだったとはいえ、まだ50歳前の時に、20分の講演を立って行うのに不安があったよしりん先生が、70歳過ぎて3時間立ちっぱなしの独演会を敢行したというのは驚きしかありません!
そして、「畏れ」の念を抱かない人は気味が悪いというようなこと、というのはおそらくこれですね。
(『戦争論2』最終章。『靖國論』にも収録)
長年の『ゴー宣』の思想を理解し、よしりん先生渾身の、気迫あふれる講演のメッセージを、即座に受け止めておられることに感激です!